常楽寺

以前ご紹介しました河越館跡史跡公園の隣にこのお寺はあります。大きい寺ではありませんが河越館の持仏堂から始まったと言われ、ここも河越館の一部ということになります。もう河越館はありませんが過去と現代を繋ぐ貴重なお寺さんと言えると思います。河越館とその主達の栄枯盛衰を見て来たとでも言えばいいんでしょうか。

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高階五社めぐりその⑤ 寺尾日枝神社〜諏訪神社〜新河岸駅

寺尾の日枝神社隣の勝福寺の辺りにかつて寺尾城というお城があったそうです。諏訪氏の一族が住んでいたとのことですが同じような話は横浜の鶴見、川崎の多摩区にもありどれが本当なのか、どれも架空の話なのか専門家でもないのでわかりません。

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高階五社めぐりその④ 新河岸日枝神社〜寺尾日枝神社

2週続けて美術館を回りましたが今週は再び高階五社めぐりに戻ります。新河岸の日枝神社から寺尾の日枝神社へ。特にこの近辺に日枝神社が多い訳では無いのですがたまたま連続しています。次の日枝神社も本来「寺尾」とは付いていません。

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高階五社めぐりその② 春日神社〜氷川神社

このたび新河岸駅からスタートと書いた時に説明しておけば良かったのですが、新河岸駅は開業当時は高階駅という名前だったそうです。名前を変えなかったら今頃もう少し高階という地名が残ってたような気がします。町名としても無いし学校や公民館に名前が残っているのみなので、逆に何で学校名が高階って名前なのか新しい住人はわかりません。

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高階五社めぐりその① 新河岸駅〜春日神社

「高階五社めぐり」ってそもそも何だよ。川越市民だってほとんど知らないぞという反応になると思います。川越市南部の新河岸駅周辺地域を高階地区といいます。昭和の大合併以前は高階村といいました。その村の村社5つを順番に巡って行き御朱印ではなくスタンプを頂いていきます。

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南院遺跡

日本社会の構造が諸々変革されたのが明治維新で、そのおかげで今の日本があると言えるのでしょうが、古い物を随分切り捨ててもいます。取っておけば今頃…なんて物は色々あって、まあそれで残った物は博物館なんかで展示されているんですけどね。川越は大規模な空襲が無かったおかげで色んな物が残っている方だと思います。東京は空襲と再開発で本当の意味での古い物は少ないです。古い物好きの私としてはそれだけでも嬉しい街なんです。

その明治維新の時天皇の権威を高める為、神仏分離ということを行いました。せっかく神仏混淆してあった物を分離しようとした訳です。そして行われたのが廃仏毀釈という運動で、お寺さんが随分破壊されたりしたようです。しかも破壊したのは僧侶だったりしたそうで、どんな気持ちだったのか。そしてこちら南院も廃寺となりました。

お寺のお墓の部分だけ残されているという感じです。お寺を再興しようにも周りは民家だったり高校だったりして既に不可能なんでしょうね。喜多院、中院、南院が3つ揃えば話題にもなりそうなんですけど。説明が後になり申し訳無いのですがこの3院、元々は星野山無量寿寺という同じお寺だったそうです。

喜多院にお参りし中院にお参りして南院で手を合わせこの3院に想いを馳せていると、人間の業みたいなものを凄く感じてしまいます。元は中院の勢力が大きかったが、天海和尚が徳川家康のプレーンとなり喜多が興隆し勢力を広げ、東照宮建立の折に中院は移転させられる。一番勢力の小さかった南院は廃仏毀釈で廃寺になり…。

南院遺跡迄〇〇メートルとかの案内板がある訳ではありませんので、見つけにくい所ではありますが中院のすぐ前にありますので、お気付きの際にはお参りをして頂ければと思います。私はいつ見ても切ない気持ちになってしまいます。