川越市街を歩いていて赤坂の日枝神社の本社という看板に引かれてこちらへ寄ってみました。どんなことなんだろうと気になって調べてみたらどうやら本当みたいです。疑って申し訳ありませんという感じです。
川越城を築城したのが太田道灌でその後道灌さんは江戸にも城を建立します。その時に江戸城の鎮守として川越の日枝神社の分社を勧請したということらしいです。道灌さんは江戸を川越の支城として考えていたようです。今の東京と川越では立場が逆転していますね。
日枝神社も分社した東京赤坂の方が大きくなってしまい、こちらの方がこじんまりした印象を受けます。そもそもこちらも喜多院や中院の元の無量寿寺建立のおり、その鎮守として近江坂本の日吉神社から勧請したとのことです。
日吉?日枝?だんだんわからなくなりますが、坂本の日吉神社はもともと日吉と書いて「ひえ」と読んだそうです。なのでまあ漢字が同じで無くても同じ「ひえじんじゃ」になります。私もだんだん理解してきました。
元々は神仏混交で喜多院の中にあった物を境内の外に分離したようです。県道を拡げたり色々あって今に至ります。まあ細かいことは気にせず人も居ないのでじっくりお参りしてきました。喜多院にお見えになった際はぜひお立ち寄り下さい。ここだけを目的にするとすぐに終わってしまいますので。