川越城本丸御殿

日本百名城に名を連ねる名城、川越城。ですがお城素人(そんなカテゴリーあるの?)には天守閣が無いのであまりピンと来ないかも知れませんね。でも太田道灌時代にはそんな物無いし江戸時代には見栄以外に使い道無かったでしょうから敢えて作らなかった、若しくは幕府の許可が出なかった、まあそんな所でしょうね。

御殿自体はあまり大きくありませんが本来の川越城の縄張りは何倍?何十倍?はあったようです。ワタクシ他人の土地に行っては「何だお城の中にこんな学校なんか建てちゃって」とか悪態を吐いたこともあるのですが自分のところがそもそもで。もう悪口は言いません。

そういう視点で本丸御殿の周辺を歩いていると門の跡やら何やら碑がいくつも見られます。残しておいたら結構な見ものだったんでしょうね。御維新の時に色々舞い上がって壊してしまったんでしょうね。

中に入ると使者の間がまずあり城主に取り次ぐんでしょうね。それから中に入ります。トイレが別棟にはなっていますが建物内にあるのは少し残念でした。ここも何か展示できそうなんですけど。

家老詰所からのお庭がとても綺麗です。この日は天気が悪くてイマイチですが。縁側に長居はしないでとのお達しがありましたが、座ってしまうとどうしてものんびりしてしまいます。駅から歩くとここまで結構ありますのでやはり休めるとそうなりますよね。でも1分も居ずに立ちましたよ。念の為。

その後説明書きを見て又出てきました福岡村の星野家。家老詰所は明治になって星野家に払下げ、星野家の分家みたいですがそこで「発見」されて平成になって再移築されたようです。このブログでは星野さん三度目の登場でした。本当名士だったんですね。

家老詰所で人形が三体、地図を見ています。川越藩が幕末に警護に当たった台場の地図です。黒船の襲来に備えていたんですね。そばの博物館にも台場警護の話や資料の展示があったと思います。

本丸御殿大広間はここと高知城しか残っていないそうです。なのでかなり貴重な建物なのですがやはりだいたいの方にとってお城と言えば天守閣。なので案内するとだいたいガッカリされがちです。でも貴重な物としてちゃんと説明できてれば良かったんだなあと今更ながら思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です