今回10年振りに東京から川越迄歩いてみました。普段は電車でサッと通り過ぎてしまう街並みも歩いてみると違って見えるものですね。10年前は特に夜でしたので辺りの景色も良くわからなかったというのもありますが。
しみじみ思ったことは川越は本当に恵まれているんだなあということです。特に埼玉側の白子宿、膝折宿、大和田宿、大井宿と続いていますがほとんど観光で人を呼べるような感じにはなっていません。街道の雰囲気は残っているのですが。
東京側も旧宿場の風情が残っていないことでは同じですが人の流れはあるので商店街として機能していたり、新しい建物になってに新たに人を呼び込んでいたりで要は活気は残っています。巣鴨や大山、板橋あたりは商店街も立派です。
川越もそうですが埼玉側の旧宿場町は完全に東京のベッドタウン化しています。なので通勤は駅に向かい街道はどんどん寂れて行ったんでしょう。商店も車対応はしていないので車客も取り込めずその他色々な要因が重なり衰退していったんでしょうね。
これが更に山梨や長野に行くと観光目的でも無いのに古い宿場町の雰囲気が残っている所がままあります。逆に写真を取りに行く人がいたりします。そういう所は景観保護とかになっていない所もあり建て替えが進むと個性のない街並みになって行きます。
とはいえ古い家は住みづらいんですよね。特に高齢者にとっては。階段は急ですしトイレはしゃがむようですし、お風呂もユニットとかではありませんから手摺りも付けないといけません。蔵の街に親戚がいますがやはり住むには不便のようです。
でも古い家は取り壊したらもう元には戻せません。復元は却って高い物になってしまいますし、職人もいませんのでやはり同じ物を建てるのは難しく、お住まいの方には勝手で申し訳ありませんがなるべく保存して頂きたいものです。
あ、記事では淡々と書いていますが、後半特に川越市に入ってからは本当に体力を消耗しており何度も心が折れかかりました。脚も上がらず摺足になっているのも自覚していました。足裏も痛いを通り過ぎ却って痛みを感じない、いう感じになっていましたね。
後で家族からは「逆ルートでも良かったんじゃない?標高は下がって行く訳だし」と言われました。ところどころは上り降りありますが全体では下がって行くのですからそれも一つ案ですね。又歩くかはわかりませんが。10年後?