長崎は県全体でも観光スポットに事欠きませんが長崎市は特に異国情緒あるスポットに事欠きません。でも原子爆弾で酷いことにも会った街でもあります。なのに残っているものは多く手付かずで残っていたらもっと色々あったのかなあとか思ったりもします。
出島と言っても周辺が埋め立てられてしまっているので島ではなくなっているというのは知っていました。でもまあ何となく行ってみたいと思っていたし路面電車で行けるので行ってみることにしました。
現在出島があった部分を復元しているのですが、一部道路と路面電車の部分はどうにもならずその部分だけ削られている感じです。出島電停で降りそこから直ぐに西門がありますが現在そこからは入れません。
なので中島川を橋で渡り更に表門前の橋を渡って中に入ります。まあ風情はあるんですが面倒くさい。あ、それを言ってはいけませんね。表門をくぐりお金を払って出島に入ります。そこから復元建物が並びます。
結論から言ってしまいますが江戸時代の建物は残っていません。ほとんどの土地が民有地となり病院、商店などになってしまっていたそうです。埋立で島でも無くなっていましたし。それを国が買い戻して発掘、復元事業が始まりました。
これは旧出島神学校です。これとても明治期の建物です。これと旧長崎内外クラブの建物は残し後は江戸期の地図などを元に建物を復元しています。この学校も移築しても良いかもしれませんが難しいんでしょうね。今の時代迄残ってますのでこれも文化財ですものね。
砂糖を輸入していたみたいですね。お醤油が甘いのも関係があるのかな?古伊万里や銅なんかを輸出していたみたいですね。そんな説明書もあります。三浦按針がらみの物が無いのが不思議だったのですが出島が造られたのは按針死後のことだったようです。
周囲を壁で囲んでいてこれも復元らしいですけどそれが更に別世界感を大きくさせています。何かとても不思議な場所でした。ここは中華街も近いですし合わせて観光と言う感じでも良いと思います。