母を故郷に連れて行きました。父の介護と新型コロナ・ウイルスのせいでかなりご無沙汰していたからです。まあ新型コロナ・ウイルスが警戒されていた頃は地方に行くのは迷惑がられましたから。
シニアブログを書いている私の母ですから高齢になります。80は優に越えています。なので新幹線なら直ぐに着くとはいえ、東京駅を一人で歩くのは歩き慣れないし怖いということで、ほぼ付き添いで私も行くことになりました。
行き先は富山です。富山駅なので2時間ちょっとで着きます。でも脚が悪いので階段は辛いしエスカレーターもおっかなびっくりになるのでエレベーターを探して乗るので大変です。それを一人で探させるのは…やはり付いて来て良かったと思いました。
しかし行く所が病院とグループホーム、家に行っても寝たきりの人だったり、後期高齢者にしか会えませんでした。比喩でも何でもなく。しかしレンタカーを借りて良かった。迎えに行くとも言われていたようですが、お断りして正解でした。
私にとってとても優しかったおばさんたちが完全におばあさんになり、同じ話を何度も繰り返し、まあとても大変でした。多分母と一緒に行かなかったら私が誰だか分からなかったのでは?と思います。90歳超えも何人もいました。
女性の方が長生きということですが、本当におばあさんだらけでした。まあ生きていてもらっただけ良かったと思いました。母の幼馴染みや近所の方が既に亡くなっていたと聞いている時の母のがっかりした顔をこの旅行中何度も見ることになりました。
実は時間があったら富山の名所、喫茶、麺の何か記事が書けるかしらと思っていたのですが、結局その暇もなく時間が過ぎて行きました。天気が悪かったというのもあるのですが、本当に母の予定だけで動いていました。写真の一つも撮っておけば良かったかな。
母も聞いてはいたのですが母の生家が更地になっていました。母が行きたいと言ったから行ったのですが、見せない方が良かったかなと、ここだけは思いました。柿の木に実がなっていて美味しいんだよと言っていましたが、もう他人の土地なので泥棒になるし…。
知らなかったこととして、母の生家は富山市だとばかり思っていたのですが、ギリギリ隣の市でした。勿論母が住んでいた時は村ですが。私にとってはそれが新鮮でした。駅まで行くのも大変だったんだろうなと思います。昔は車なんて持って無かったでしょうし。
帰りの新幹線で母はずっと外の景色を見ていました。色々思うことも多かったんだと思います。私は運転手から解放されてビールなどを飲みながら、もしかしたら母が富山に行くのも最後かも。そうしたら今回お会いした人たちに私が会うのも最後だったのかも、そんなことを考えながら帰って来ました。