高階五社めぐりその② 春日神社〜氷川神社

このたび新河岸駅からスタートと書いた時に説明しておけば良かったのですが、新河岸駅は開業当時は高階駅という名前だったそうです。名前を変えなかったら今頃もう少し高階という地名が残ってたような気がします。町名としても無いし学校や公民館に名前が残っているのみなので、逆に何で学校名が高階って名前なのか新しい住人はわかりません。

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高階五社めぐりその① 新河岸駅〜春日神社

「高階五社めぐり」ってそもそも何だよ。川越市民だってほとんど知らないぞという反応になると思います。川越市南部の新河岸駅周辺地域を高階地区といいます。昭和の大合併以前は高階村といいました。その村の村社5つを順番に巡って行き御朱印ではなくスタンプを頂いていきます。

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南院遺跡

日本社会の構造が諸々変革されたのが明治維新で、そのおかげで今の日本があると言えるのでしょうが、古い物を随分切り捨ててもいます。取っておけば今頃…なんて物は色々あって、まあそれで残った物は博物館なんかで展示されているんですけどね。川越は大規模な空襲が無かったおかげで色んな物が残っている方だと思います。東京は空襲と再開発で本当の意味での古い物は少ないです。古い物好きの私としてはそれだけでも嬉しい街なんです。

その明治維新の時天皇の権威を高める為、神仏分離ということを行いました。せっかく神仏混淆してあった物を分離しようとした訳です。そして行われたのが廃仏毀釈という運動で、お寺さんが随分破壊されたりしたようです。しかも破壊したのは僧侶だったりしたそうで、どんな気持ちだったのか。そしてこちら南院も廃寺となりました。

お寺のお墓の部分だけ残されているという感じです。お寺を再興しようにも周りは民家だったり高校だったりして既に不可能なんでしょうね。喜多院、中院、南院が3つ揃えば話題にもなりそうなんですけど。説明が後になり申し訳無いのですがこの3院、元々は星野山無量寿寺という同じお寺だったそうです。

喜多院にお参りし中院にお参りして南院で手を合わせこの3院に想いを馳せていると、人間の業みたいなものを凄く感じてしまいます。元は中院の勢力が大きかったが、天海和尚が徳川家康のプレーンとなり喜多が興隆し勢力を広げ、東照宮建立の折に中院は移転させられる。一番勢力の小さかった南院は廃仏毀釈で廃寺になり…。

南院遺跡迄〇〇メートルとかの案内板がある訳ではありませんので、見つけにくい所ではありますが中院のすぐ前にありますので、お気付きの際にはお参りをして頂ければと思います。私はいつ見ても切ない気持ちになってしまいます。

小江戸川越七福神めぐり予習その6 蓮馨寺〜見立寺

七福神めぐりについてずっと書いていますが、水琴窟のことも何故か毎回書くことになってしまいました。そういえばそれなら水琴窟の説明をするべきだったなと思い少し反省。水琴窟の説明をしてみたいと思います。これは一体何の記事でしたっけ?

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小江戸川越七福神めぐり予習その5 成田山〜蓮馨寺

七福神めぐりに行くのは何日がいいのか、これはなかなか悩むのですが元日に初詣がてら行くのが一番いいと思います。というのはお寺さんや神社さんもその日は一番人員を割いているので御朱印もちゃんともらえます。それぞれの寺社で対応は違いますが、川越とは別の所で2日に行ったら書を書く方がおらず紙のものを頂いたこともあります。

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小江戸川越七福神めぐり予習その4 喜多院〜成田山

最近、御朱印ブームとかいう言葉を聞くのですが、それってどうなんだろう?と思ったこともありました。本来の意味を考えると単にお参りしたことの証明では無いような気がします。とは言え私も不届きにも頂いてしまっているんですけど。でも「期間限定御朱印」とか言われるとちょっと複雑な気持ちになります。

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