唐津市の中心地から遠く離れた北の海側にこちらの城跡があります。今となっては漁村があるだけ、という感じの所ですが16世紀の末に朝鮮半島へ渡る軍団の集結地として大変な賑わいがあった場所です。
何でナゴヤっていう地名なんだろうと不思議だったのですが、理由はわかりません。でもこの地名を知った豊臣秀吉が、地元名古屋との縁を感じてこちらに巨大な城を建てて朝鮮侵攻の拠点としたということです。
歴史の結果としては約10年しか使っていませんし、それほど大きい物を想像していなかったのですが、実際に行ってみたら石垣やら三の丸二の丸本丸と、とんでもない規模のお城だったというのが良くわかりました。
しかもその周辺にも全国の武将の陣跡が残っており、北は伊達政宗から南は島津義弘など本当に全国から招集されたことがわかります。ここからだと島津義弘はそんなに遠くはありませんね。
遠く海を眺められます。この日は天気は良かったのですが、少し烟っていて遠くは見えませんでしたが対馬も見えるそうです。海はとても穏やかでした。周辺には島が多く内海のようになっています。
本当は豊臣秀吉としては朝鮮半島が欲しかった訳ではなく、中国、当時の明を攻めたかったそうです。当時の李氏朝鮮は明の朝貢国だったので朝鮮半島を制圧しながら明に攻め込もうとしていたようです。
豊臣秀吉が死んだことで計画は頓挫、名護屋城も放棄されたそうです。もったいないと言いますか、でも豊臣秀吉って小田原の一夜城跡もほとんど使っていないと思いますが、かなり大規模な土木工事をしています。
天守閣を復元したいという計画もあるそうですが、やはり韓国も近いですし中々実行にはならないそうです。まあ復元したとしてもここを再び本拠地にして攻めたりはしないと思いますが、色々難しい問題があるようです。