田原坂公園 熊本県熊本市北区

九州に来ることになって、何処に行きたいかと考えた時、太宰府であったり別府や湯布院という温泉だったり、長崎のグラバー邸とか高千穂峡、キリがありません。私も太宰府は行きたいのですけど、どうしても行きたかったのがここ、田原坂でした。

日本人同士が本気で戦った、いやここはハッキリ書きます、日本人同士が殺し合いをした最後の戦い、それが西南戦争です。明治政府と私学校党が戦った最大の激戦地がここ田原坂と吉次峠となります。後知恵であることは承知で言いますが、やはり物量で考えれば初めから勝負にならなかったと思います。

桐野、篠原、村田、という幹部連中は絶対解っていたはずです。でも、どうしても我慢ならずに西郷さんを担いでしまった。西郷も当然無理だと解っていたと思います。でも今で言うトランス状態だったんでしょうね。西郷が立てば全国の同志が立つ。結果は皆さまご存知で。

こちらに着いた時に、本当の田原坂はもっと先にあることがわかりました。公園の展望台から眺められるのですが、そんなに険しい坂では無いんですね。まわりは山なので大砲を運ぶのに適した坂がそこしか無かった、なので私学校党はここで迎撃しようと考えたんですね。来ないとわからないものです。

そしてここに来たらと言うか田原坂の紹介があると必ず出てくる建物、弾痕の家です。と言ってもレプリカですが。いつも写真は1枚と決めているので、やはりここになっちゃいますよね。政治家の理想に振り回されるのは庶民、の典型例ですね。

公園の中には茶店もあったみたいですが、閉店していました。新型コロナ・ウイルスとの関連は分かりませんが、人が来なければやって行けないです。まわりは住宅もほとんど無いような所なので。

あと、美少年の像というのがあります。民謡「田原坂」に出てくる美少年なんでしょうが、うーん、現代の感覚では作らないかな?一応、村田新八の息子が歌詞の美少年のモデルらしいので、関連性が無い訳ではありませんが…。

資料館も入りました。熊本の立場は難しいですね。という感想です。もう明治も歴史になってしまい、全国的には西郷さんに肩入れする感じになりますが、熊本としては私学校党の蜂起はいい迷惑だったはずですから…。

電車で来るとちょっと大変かもしれませんが、好きな方は是非来て欲しい所です。でも熊本駅でレンタカーも含め車が良いかな?と思います。周辺にはこの戦い関連の史跡がいっぱいありますので。

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