永勝寺 飯盛女の墓 神奈川県藤沢市

湘南藤沢に来たのに又、藤沢宿に来てしまいました。江ノ島辺りも行きたいのですが、あちらはかなり整備されていて…。勿論あちらも路地に入ったら色々面白い所も沢山あります。それは何処だよと言われると、まあそのうちに。

旧東海道の宿場で、大山道や江ノ島道への分岐点で、更に将軍家の御殿があったりしました。江戸時代以前から遊行寺、最近ではすっかり駅伝でお馴染みですね、の門前町だったりしたので、とても栄えていたようです。歩いてみると雰囲気があります。

地図を見て気付いたのが「飯盛女の墓」というものでした。宿場町に飯盛女は付き物ですが、お墓があるのは珍しいし、駅前の地図に表記があるのも見たことがありません。何だろうなあと。こういう物は気になったら最後、ちゃんと確認しませんとね。

藤沢本町駅から歩いて5分くらいの所にありました、永勝寺さんです。創建は江戸の元禄年間ですから、比較的新しい?何か江戸以降の寺社は新しいと思ってしまうのは、由緒ある所ばかり行き過ぎでしょうか。

この記事タイトルなら、お墓の写真を撮るべきなんでしょうけど、どうもお墓の写真を撮るのは抵抗があって申し訳ありません、山門の写真です。山門入ってすぐ左側に墓所がありますのですぐに分かります。あ、有名人よお墓は写真撮ってますね。でも個人のはどうも…。

説明文が山門の脇、この写真の右側にあります、それと墓所の前にもありました。結構古い説明書きなんでしょうか、今ならもう少しオブラートに包むんでしょうけど「借金の形に沈められた」とか「男たちの相手にもなりました」とか書かれています。

今は性的なことは特にオブラートに包みがちですが、私としてはこうしてハッキリ書いた方が良いと思っています。子どもに説明するのに困るとかあるんでしょうけど。事実は事実として認識しないと、こういった物がある意義が伝わらないと思います。

実際、明治になるまで平民の多くはお墓を持っていなかったはずです。名字も無いんですから。そんな時代にお墓まで建てて奉公人の供養をした小松屋さんという旅籠ですが、奉公人を使い捨てとは思っていなかったということだと思います。

小松屋さんの初代の出身地からの女性が多かったそうです。葬られている女性は苦労したんだと思いますが、小松屋さんとしては故郷の村には対価を払って還元していたとも言えるのでしょう。そういう意味では当時としては良い人だったんでしょうね。

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