昌元寺 佐賀県鳥栖市

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。福岡博多に来てから3回目のお正月です。と言っても川越高階にいますが。私自身はしばらくは博多暮らしになりそうです。

鳥栖市は江戸時代は西半分は佐賀藩領、東半分は対馬藩領に分かれていました。対馬藩は日本海に浮かぶ対馬のことです。現在の鳥栖市の田代あたりを飛地で与えられていたそうです。

以前の記事で田代売薬の話をしていますが、長崎街道の宿場町で製薬業が盛んな地域でした。久光製薬さんは今でもその流れを経ていますが、他にも大石製膏堂さん、九州薬品工業さんなどがあります。

そう考えて町を歩くと結構立派なお屋敷があったり、今回ご紹介しますお寺の周りも寺町になっていたりします。なかなか機会が無く買えていないのですが、12月に栗まんじゅうを販売する佐藤製菓本舗さんとか、その時期は大行列が出来ています。

それともう碑しか残っていませんが、代官所があったり、本陣があったりしたそうなのでかなり賑わっていたんだろうなと思います。今は久光製薬さんの本社工場がかなりの存在感となっています。

本堂とその前にある松がとても立派です。山門も2階部分に鐘があったりしてとても立派なのですが、山門を撮ると本堂が見えにくいのでこの写真になりました。この日は雨がちでちょっと石畳も濡れていました。

こちらは九州四十九院薬師霊場四十八番札所ということで薬師堂もあります。対馬藩主の庇護を受けていたようで、敷地も広くとても立派です。ただ入口の間口が狭く中に入ると広くなっています。

入口のところに呉服店がありますのでそちらが目印になっています。しかしその呉服店さんも相当な老舗っぽいです。周辺が開発される迄はとても栄えていたんだろうと思います。今は住宅街に溶け込んでいます。

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