長崎市内はそこら中に旧跡がある感じで、歩いているとすぐ何かの旧跡を示す碑に出くわします。江戸時代の繁華街なので記録も記憶も残っているからなのでしょうね。まあ私のような一般人には何の記念かわからないものもありますけど。
こちらの喧嘩騒動というものも私は全く知らない事件でした。深堀鍋島家の家臣が町人で町の有力者の家人に泥を撥ねてしまった。詫びたが町人側の感情が収まらず、寝所に押し入って暴行し、刀を奪った。
それに対して武家側が報復を行って町人側を斬り殺してしまった。そして武家側も自害。武家の面目を保った。…え?泥を撥ねて、しかも謝ったんですよね。何でそんなことになるんでしょう?現代人には理解が…。
深堀は現在は長崎市内ですがかなり外れにあります。長崎自体は天領だったので鍋島家の領地ではありませんが、町人と武家が喧嘩できるくらい自由な空間だったんですかね。町人も幕府の仕事をしていたようなので、威張っていたんでしょうか。
その泥撥ねの現場になった坂がこちらです。坂の上はビジネス街、下りてもオフィスビルがありますが、飲食店などが混在する感じの町並みになっています。坂はこの通り歩道です。ちょこちょこ人通りはあります。
雪の日だったそうなので坂も少し急ですし、まあ泥くらい撥ねることもあるでしょうね。お酒を呑んでいたらしいですし。でもその場では収まって後で襲撃しているらしいので、お酒は抜けていたと思われます。何だかなあ。
この坂の上にミゼリコルディア本部跡という碑があります。病院と孤児院、老人ホームを併せたような施設だったそうです。事件の時には無くなっていたようですが、そんな所でこんな事件が。落差あり過ぎますね。