久留米に寺町があることに気付いたのはつい最近のことでした。久留米に住んでいる若い人に聞いたら知らないと言われました。西鉄久留米駅にも案内があったので、住民でも興味が無いとわからないくらいの扱いなのかな。わかりませんが。
何故気付いたかと言うと、グーグルマップを見ていたら高山彦九郎墓というのを見つけ、そこに寺町という地名を見つけたからです。少し拡大してみたらいくつものお寺の名前が出てきました。
この記事のタイトルに入れていますが高山彦九郎って誰?ほとんどの方からしたらそれが普通の反応だと思います。私もつい数年前迄全く知らない人でした。今でも良くは知らないんですけど。
仕事で群馬の太田市に行った時打合せの時間が変更になり、3時間ほど空いてしまってどうしようかと思っていたら高山彦九郎記念館というものがあり、何だか良くわからなかったのですが時間潰しと思って入ってみました。
でも正直何をした人か結局良くわからず…。思想家に業績を求めても仕方ないんですが。勤王思想家で方々に思想を説いて回っていた人みたいです。生誕地が群馬の太田、自害したのがこちら久留米だったそうです。
立派なお墓です。明治維新で天皇中心の世の中になったことでこういう物も作られたんだなあと思います。久留米は3度も訪れたそうです。最後は幕府に目を付けられて久留米から出ることができなくなったようです。
この寺町のすぐそばに亡くなった所もあり、そこも記念碑が建っています。立派な人物ということは分かりましたが、やっぱり何をした人かということを他人に説明するのが難しいです。私の頭が悪いからかな?
諸国を歩き回った日記があるので研究者の方には重要な資料らしいです。群馬の忍山温泉とか既に放棄された温泉の記述とか郷土史の研究にも役立っているみたいです。私のような一般人にはあまり理解できるものではありませんけど。
又、こちらの遍照院さんですがお庭がとても綺麗です。高山彦九郎先生史蹟顕彰会という団体で管理をしているそうです。そんな会があるくらい立派な方なんですね。大変失礼致しました。でも私の頭が悪いからなんでしょうけど、やはりピンと来ず…。スミマセン、って誰に謝っているんでしょう?