このブログもようやく半年を迎えることができました。ありがとうございます。それで月曜日に取りあげますが偶然西雲寺で関東大震災供養塔を見つけたのと、3月11日も近いことですので2011年のあの日私がどうしていたかを書いてみたいと思います。とはいえ東京と埼玉での話なので大事件みたいなことは起こりません。あらかじめ。
当時、東京の市ヶ谷に通勤していた私はその日の午後は御茶ノ水で打ち合わせ、品川で打ち合わせして会社に戻る予定でした。御茶ノ水で打ち合わせを終え駅に向かう途中で地震が起きました。とはいえそれほど揺れは強くなかった記憶です。私は良く立ち眩みを起こすのですが「又頭が揺れてる」と思いながら歩いていると、ビルから人々が出て来て「揺れてる、揺れてる」と言うのを聞いてビルを見上げると、アンテナが揺れていて地震を自覚しました。
御茶ノ水駅に着くと電車は動いておらず品川へ行くのは無理と判断、お客様には断りの電話を公衆電話からしました。その時点で携帯電話は使い難くなっていました。それから30分もしない内に公衆電話に大行列ができるという現象が起きました。まあ御茶ノ水から市ヶ谷なら歩いても大したことはない、と思い歩いて会社に戻りました。
会社では既に帰宅命令が出されており、帰れない人は会社に泊まっても良いと言われました。最初は泊まろうかとも思いましたがベッドとかある訳ではないのと、その日は金曜日だったので30km以上歩いても土日休めば回復すると踏んで歩くことを決断しました。
国道254号線≒川越街道なのでそこを目指して歩き、その後は道なりに進むことにしました。震災後帰宅マニュアルとか大分出版されましたが、そんなものも当然ありませんので頼るのは勘のみ。もっともその後、震災後すぐは避難所とかに行くのが正しいということになり、帰宅マニュアルもあまりみられなくなりましたが。
私と同じような考え方をした方が結構いらっしゃり後に「帰宅難民」という名前を被せられるのですが、そういった方々の波に入って歩きはじめました。バスを使える所は使ってしまおうと思っていたのですが、大渋滞で車が全く動く感じがなくむしろバスを追い越して歩いて行く形になりました。あと都電は動いていましたが超満員だし方向も違うので断念しました。
歩いて30分で足に異変が起きました。フォーマルな靴をおろして1週間とかで御茶ノ水から市ヶ谷迄歩いていたので、靴ずれを起こしていました。途中でスニーカーでも買えばいいやと思っていたのですが、店という店が軒並み閉まっておりこれは履き替えは無理と思った方がいいと覚悟を決めました。のちに聞いたらアルバイト等が出勤できなかったので店を閉めた所が多かったようです。
書き始めてみたらちょっと長くなりそうなので2回に分けます。次回のお楽しみ?ということですみません。