「40にして惑わず」というのは有名ですが50はあまり言われませんね。答えは首題の「天命を知る」だそうです。天から与えられた使命を知るですか、未だに惑っている身としてはそんなの知りませんよとしか答えられませんけど。
先月末に私も走ったりしている寺尾調整池で50歳の方の死体が発見されたというニュースがありました。お悔やみ申し上げます。本当は先週書きたかったのですが身近な所過ぎてショックで筆が進みませんでした。
そしてこういう場合「未だ若いのに」という言葉で語られることが多いです。そんなに若いか?と思いますが平均余命が80歳代の時代、亡くなる年齢としては50歳代は「若い」ということになるのかもしれません。
でも同じ50歳でもこれも先月ですが、新潟のアイドルグループに脅迫メールを送って逮捕された人、今月ではスポーツカーで高速道路を激走、追突で2名亡くならせて「スピード出しすぎちゃいました」と言った人も50歳でした。
後の例では「50歳にもなってあんなこと」という感じで言われてしまいます。何だかなあと思いますが、良く考えると20歳になった時も「もう大人なんだから」というのと「未だ未だ一人前じゃない」というので言われていたような。
今でも充分惑っていますし天命なんて分かりません。でもやはり若い頃よりは選択肢も少なくなって惑う場面も減り、天から与えられた使命ではなく何となく今までのことを続けざるを得ない、それが天命なのかしら。そう思うと孔子様の言葉ってやはりスゴいんですね。
そんな人間の営みとは関係なく季節は移ろって行きます。寺尾調整池の土手に立つと蝉の鳴き声が聞こえてきます。梅雨が長かったのであまり夏を感じていませんでしたがもう8月も半ば。秋が来て冬が来て今年も…、自分らしく生きていきましょうね。