南院遺跡

日本社会の構造が諸々変革されたのが明治維新で、そのおかげで今の日本がある、と言えるのでしょうが、古い物を随分切り捨ててもいます。取っておけば今頃…、なんて物は色々あって、まあ、それで残った物は博物館なんかで展示されているんですけどね。川越は大規模な空襲が無かったおかげで、色んな物が残っている方だと思います。東京は空襲と再開発で、本当の意味での古い物は少ないです。古い物好きの私としてはそれだけでも嬉しい街なんです。

その明治維新の時、天皇の権威を高める為、神仏分離ということを行いました。せっかく神仏混淆してあった物を分離しようとした訳です。そして行われたのが廃仏毀釈という運動で、お寺さんが随分破壊されたりしたようです。しかも破壊したのは僧侶だったりしたそうで、どんな気持ちだったのか本当に胸が痛みます。今回取り上げる南院遺跡はそんな過去の遺産です。

お寺のお墓の部分だけ残されている、という感じです。お寺を再興しようにも周りは民家だったり高校だったりして既に不可能なんでしょうね。喜多院、中院、南院が3つ揃えば話題にもなりそうなんですけど。説明が後になり申し訳無いのですが、この3院、元々は星野山無量寿寺という同じお寺だったそうです。

喜多院にお参りし、中院にお参りして南院で手を合わせ、この3院に想いを馳せていると、人間の業みたいなものを凄く感じてしまいます。元は中院の勢力が大きかったが、天海和尚が徳川家康のプレーンとなり喜多院が興隆し勢力を広げ、東照宮建立の折に中院は移転させられる。一番勢力の小さかった南院は廃仏毀釈で廃寺になり…。

南院遺跡迄〇〇メートルとかの案内板がある訳ではありませんので、見つけにくい所ではありますが、中院のすぐ前にありますので、お気付きの際にはお参りをして頂ければと思います。私はいつ見ても切ない気持ちになってしまいます。

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